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駄文置場という名の虚無空間です

 

よし、虚無ろう

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Category:感想

10年ぶりの咆哮 

IMG_20140731_205509.jpg
 

公開から少し経ち、ようやく観に行く事が出来ました。

『GODZILLA ゴジラ』


  『ゴジラファイナルウォーズ』から10年の時を経てようやく怪獣王復活。スクリーンでゴジラが咆える。それそのものが、怪獣映画という一ジャンルに慣れ親しみ育った者達への祝福であり、心の中で共に雄叫びを上げた人も少なくないでしょう。


 16年ほど前にも海の向こうで作られた”ゴジラ”がありました。ガッズィーラです。賛否両論ある作品であり、パニック娯楽映画としては悪くないと思えるのですが、海外リメイクというのは文化・国柄・歴史・宗教……数多の壁が立ちはだかる極めてデリケートなものだと考えさせられた一作でもありました。


 では、ぶっちゃけて今回はどうなのか。

 その壁は超えられていたのか。

 デリケートな部分を包み込めていたのか。


 結果的に言えば、大いに躍進した、と言いたい。


 ハリウッドテイストと日本のゴジラテイストが”適度”に混じり合っている。この”適度”が難しいのです。

 バランス良く放り込むというのは言うほど簡単ではなく、民族的な感性の違いも多少なりとも出てきます。特にゴジラともなれば、語る上で『核』は避けて通る事の出来ない存在ですから、ここに大きな違いが出る事と思っていました。核大好きですしあっちの映画w


 実際のところ、そこに思ったほどの隔絶感は無く。
 そこを中心に掘り下げるという事はしなかった(尺の都合で出来ず、大幅にカットしたのだとか)代わりに、原子力、核、そして大自然の調和の使いであるかのようなゴジラを通し、人は自然の前には無力でもあり、人が自然をコントロール出来るなど驕りでしかないというメッセージが込められていたように思います。




 ●発音は正しくGO-ZI-LAだ

 海外でリメイクするならば『日本の作品に寄せて来るよりも、向こうで作る意義のあるものにしてほしい』というのが個人的な大前提として存在するのですが、同時に、原典が存在する以上『ここは継承して欲しい』という点も必ず存在します。

 端的に言えば
 「怪獣観(存在する理由・意義)」
 「人との対比(巨大感・同じ生物として・人のドラマと怪獣のドラマが交差する)」


 この二点は特に大切にして欲しいと思うところ。これらがいかに練られ、密度を高めているか否かで、『ゴジラ』を冠する映画の完成度は違ったものになってきます。
 ”直接的な恐怖を与えるために生まれて来た”モンスターではなく、”何故生まれたのかを考えた時に、怪獣に対し、人間に対し、恐ろしさと後悔がこみ上げる”……そういったものであって欲しい。

 とはいっても、日本のゴジラシリーズも28作中、それを重視し完遂している作品だらけという訳でもなく。『対』時代のゴジラなどは多くがヒーロー的で、流星人間ゾーンと一緒になって戦ってくれるレベルです。あの時代のゴジラも勇ましく、愛らしさに満ちていて大好きではあるのですがw

 あと渡辺謙さんが拘ってくれましたが、劇中でしっかりと「ゴジラ」と日本語発音で言い放った点。こうあって欲しいですね。字幕で見た甲斐があるというものです。


 言ってしまえば、「見たかったハリウッドゴジラ」。それが本作への総合的な感想です。



 ●返せ!太陽を

 少し話がズレますが、自分が生まれて初めてゴジラを見たのは小学生の頃。第一作『ゴジラ』を、友人宅に遊びに行った時に見せて貰いました。
 ウルトラマンに慣れ親しんでいた自分にとって、ゴジラは何か異質な存在として映りました。だって倒すヒーローが予め用意されていないんです。怪獣なのに倒すヒーローがいない、どうするのこれ!と(ウルトラQはまだ見たことがない時分でした)。

 見ていくうちに、”怪獣が存在する理由”が物語の主軸として問われて来ます。
 そもそも何故ゴジラが生まれたのか、何が原因で現れたのか……それを理解した時、ゴジラは、怪獣は倒すべき存在という一元的思考では向かい合えない存在になりました(もちろんウルトラシリーズにも一方的に倒されて良かった訳ではない怪獣はかなりいますが、そこまで深く考えた事が小学生の自分にはなかったのが正直なところ)。


 それから少し経ち。
 自分自身の意思で初めて手を伸ばしたゴジラ映画が『ゴジラ対ヘドラ』でした。

 内容も知りませんでしたし、異色作と言われている事も当時は承知してませんでした。ただ居並ぶゴジラ映画を手に取るうち”人の生み出した公害から生まれた怪獣”という設定と、そのおどろおどろしい見かけに心惹かれたのを覚えています。
 当時からしっぺ返しというか、積み重ねてきた行為がいつか自分たちに返ってくるというドラマを好んでいたのでしょう(根幹は手塚治虫漫画や石ノ森章太郎漫画に多分に含まれた環境破壊などの警鐘であると思いますが)。


 そういうのもあり、個人的に『対ヘドラ』というのは自分にとって根幹的なゴジラのイメージのひとつ(いやどう見ても異色作なのですが)となって沈殿し、堆積し続け、今日に至ります。
 そんな『対ヘドラ』を撮り、ゴジラに空を飛ばせ、ゴジラの生みの親の一人である田中友幸さんをめちゃくちゃ怒らせてしまったという逸話の持ち主、坂野義光さんが『GODZILLA ゴジラ』のエグゼクティブ・プロデューサーで名を連ねていらっしゃるじゃないですか!

 何が言いたいのかと言えば詰まるところ、自身のゴジラ観の中でいきなり歪だが決して抜ける事のない楔を打ち込んでいった監督が、今また蘇る怪獣王に携わっていらっしゃることが、個人的に凄く嬉しかったという話なのです。


 『対ヘドラ』当時も、改めてゴジラにメッセージ性を取り戻したいという思いを抱きつつ、とんでもない低予算と人手不足の中であの映画を撮った坂野さんと、それに連なるゴジラシリーズに格別の愛を注いでくれる若き監督ギャレス・エドワーズ、よく生きてたな!と言いたくなる悪運の主人公のアーロン・テイラー=ジョンソンや、芹沢の名で「ゴジラ」と劇中でその名を口にしてくれる渡辺謙さん……

 ……幾多の人々の想いとともに再びゴジラが吼えました。
 「怪獣王は人類の救世主か」。大自然の調停者であるとするならば、今回は主にリア獣(充)ムート―さんに矛先が向いただけなのでしょう。次回作で果たしてゴジラがどういった存在として扱われ、あの世界で受け入れられているのか、今からとても興味深いですね。あ、続編企画動き出しているらしいですよ。


 
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